もののイロハ

雑記オブ雑記

【ア】熱いぜ! バスケットボール

NBA(アメリカのプロ・バスケットリーグ)のプレーオフ・カンファレンスファイナル(事実上の準決勝)が始まった。

とても面白い。その内訳を、ここに述べよう。

今のNBAのトレンドは、チーム力バスケットである。

マイケル・ジョーダンの時代のような、スーパースターのいるチームが圧倒的に強い時代は去った。

現在では、スーパースターは徹底的に研究され、得意なプレーはなかなか許されない。それどころか、苦手なプレーを強いられ続ける。さすがのスターも一流アスリートたちの組織的なディフェンスの前ではミスをすることも少なくなく、下手をすればチームのお荷物になる。

そこで台頭してきたのがチーム全員バスケットである。チーム全員でボールをシェアし、ディフェンスの外れた選手がシュートを放つ。部活のようなプレーである。このようなチームが上位にひしめいている。

しかししかし、面白いもので、プレーオフに入るとまた状況が変わってくる。プレーオフはトーナメント形式で、先に4勝した方が次のラウンドに進むことが出来る。

つまり、最大7戦まで同じ顔ぶれで試合をするのだ。

こうなると、チームで用意したオフェンスはたいていチェックされ、封じられる。お互いに相手の得意なプレーを封じ合うので、両者手詰まりになる。

この状況を打開できるのは、個人能力の高い存在だけである。そう、スーパースターだ。

スーパースターに頼り切るチームは勝てないのが今のNBAだが、チーム力が拮抗したとき、手詰まりのチームを導けるのはスーパースターだけなのである。こんな面白いことはない。

時代vsスターの構図で観るNBAをお楽しみあれ。

【テ】伝記には残らない孤独な戦い

想像力は圧倒的な力を持っているから、夜中にお腹が空いたとき、具体的な食べ物を想像すると、もう抗えなくなる。

どんどんどんどんおいしいイメイジが脳ミソを侵略していく。

気がつくと、むしゃむしゃ食べてしまう。

これはきっと、よくない。

ので、夜中にお腹が空いたら、必死でうんこを思い浮かべる。

後世に語り継がれることのない、小さな小さな僕の戦い。

【エ】エキサイティング進化論

地球ができてから今日に至るまでを、インターネットで調べるのがマイブームで、その一環で進化論に興味を持った。

北京原人が後の北京の人になったわけではなくて、ジャワ原人が後のジャワ島の人になったわけじゃなくて、いわゆる、あのへんの原人は絶滅してしまったらしい、なんていうのは今回調べるまで全然知らないことだった。

ざっくり調べた限り、やはり、進化と環境は密接な関係にあるようだ。

で、

僕が思ったのは、頭を使うことで食物連鎖から抜け出した人間の場合、その進化は自然環境によるよりも、自ら作り出した環境によるところが大きいだろうなあ、ということ。

既に、現代人の筋力は、江戸時代よりも、平均値としてはかなり劣るはずだ。そういったことが、進化というか、人類を変化させていくのが、これからの進化だと思う。

この先の人間はSFみたいに完全に脳ミソだけの存在になるのか、はたまた、それに抗う勢力が現れて、現行人類とさほど変わらない暮らしをするのか、空想は膨らみますな。

個人的には、超能力に覚醒したい。

【コ】滑稽創作論

僕は素材の味が好きである。食べ物は薄味が良い。素材の味が活きるから。

好きな食べ物は桃と焼き芋である。これは20年変わらぬ真実のプロフィールだ。

しかし、創作というのは調理が大切らしい。

「腹ペコの末にありついたパンによってこの上ない幸福を得た」と、書いたって歌ったって誰にも一寸も伝わらないだろう。

創作において、テクニックとしてのストレートは有効だが、情熱のままのストレートは愚直である。

僕たちはユーモアを持たなければならない。

以上。

【フ】不足を補って

僕はひとつの物事について、常にふたつ以上の見解を持っている。

僕はついさっき、「足元を見よ」と書いた。過去や未来にばかり思いをはせるべきではないという意味だ。

本当は、過去や未来に希望を見出すことはいいことだと思っている。

直面している現実ばかりを見ているのは――それが辛いものであれば――単なる毒である。

欺瞞も方便だ。

つまりは、極端になるべからず。中庸、グッドセンスが大切である。

以上、不足を補って。

【ケ】蹴躓く――盛大に――

「昔はよかった」と言う人は絶えない。

「昔はよかった」の類は、僕が確認しただけでも明治時代から既に言われている。

こんな事を代々言い続けるのは人間の習性なのか、はたまた、本当に時代を遡るほど物事はよくなるのか。

「明日は今日より素晴らしい」と言う人もいる。「明るい未来」も常套句である。これらは、「昔はよかった」とは衝突する言葉であるように思われる。

はてさて、これらふたつの信仰は矛盾するのだろうか。

僕はここにひとつの真理を見出した。

前者も後者も、過去か未来を讃えるものである。両者、現在に満足していない模様である。

現在はかつては未来であったし、現在はいずれ過去になる。

こんなことでは蹴躓く。それも盛大に。足元を見よ。

【マ】ままごと

死の瞬間に人は何を想うのか。興味深いことだと思う。

科学が発達すれば、死の瞬間をシミュレートできるのかもしれない。臨死体験は容易になるかもしれない。

それはそれで尊いのだろう。人の知的好奇心を満たすのだろう。

でも、それはウソもんに違いない。

マグロの赤身にマヨネーズをかけて大トロを味わうのとそう遠くない。

ウソもんをかじってツウぶるほど滑稽なことはない。それは、おままごとの領域を出ない。