【ネ】ねえ、旧字体で名作読も?
夏目漱石の「こころ」が100周年ということで出た本がかっこいい。昔の漢字に昔の仮名遣い、装幀もゴージャス。
漱石フリークにはたまらない品(たぶん)。僕には旧字体は難解だった。結局現在バージョンの文庫に照らしながらノロノロ読んでいる。
戦前の本を読んでいると変なところで平仮名が使われているなあと思っていた。漢字変換もない時代だから、ブショウで平仮名を使ってるのかなあと呑気に考えていた。
昔の漢字が当てられていた箇所が平仮名に直されているというのが実際だった。
旧字体と今自体では印象がだいぶ違う。多少無理しても旧字体で読む価値はある。
好きな人のケータイを覗きたくなっちゃうタイプの人は、人のケータイなんか覗いてないで旧字体で名作と呼ばれる物を読んでみるといいかもしれない。
然し然し、人の才と言ふものは人為にて其の道を選ぶことが叶わないやうである。才が道を選ぶのだ。
変態もストーカーも痴漢もその熱量を変換できたなら、きっとキダイの芸術家になったに違いない。
話は変わって、名作と呼ばれる本の文庫に付いてくる解説が気になる。
同じ冊子上に解説が付いていると、その名作が博物館的な、化石文学になってしまうような気がするのだ。
確かに、作者の成り立ちと作品の生まれた背景を知ることは面白いが、善意からの説明がケチをつけたり、解釈を狭めてしまうことは少なからずある。
ネットでいくらでも解説は手に入ってしまうから、解説を付けるなら別冊子にして欲しいところ。
僕だけがブーブー言っているのであろうか。マイノリティであろうか。
近代文学はまだまだ生きている。大人を気取るタメでもいいから読んでみてほしい。
史上最高のバスケットボール選手と言われるマイケル・ジョーダンもモテたい一心でバスケを始めたらしい。動機は不純でもけっこう。
ねえ、旧字体で名作読も?