もののイロハ

雑記オブ雑記

【ク】屈折した見方で語るならば

この頃歴史に関心がある。歴史ものをテレビなんかで見かけると、時間を忘れてじーーーっと眺めている。

別に教養を身につけたくなったわけではない。自然に関心が向くのである。

僕は歴史を敬遠してきた。歴史というものの不確かさに、価値の立脚を見送ってきたからである。

なぜ、今更関心が向くのだろうかと考えた。飲み会でどかんとウケるようなネタに当たることがあるからだろうか。いや、だとしたら効率が悪いし、もっと貪るように見入っているハズである。

あれやこれや考えて、突き当たった結論はずいぶん屈折したものだった。

歴史というものはとても不確かである。最も正確でなければならない義務教育の教科書でさえ簡単に訂正されてしまう。そこが良いのだ。僕は確かにこの理由から歴史を敬遠してきたのであるが。

歴史は数少ない材料から推論されるものである。カップに茶渋が残っていれば、そこから当時お茶が飲まれていたことなどを導き出す。

それは度々間違っているのだが、限られた材料から一生懸命最もらしいものを考えて、歴史は推論された、というところが面白いのだ。この過程こそを愛おしく思う部分が僕に歴史番組を眺めさせている。

人が全力で紡いだ架空の歴史というのは、場合によって真実よりも面白く、価値があるのではないだろうか。