【ラ】ライトな文藝批評
文藝批評もまた文藝の内である、みたいなことを芥川龍之介が書いていたので、早速着手してみる。僕はやりたがりなのです。
過不足のない文章というのが文藝におけるひとつの理想だと思う。
もちろん、あえてダラダラ書いたり(一流文士である僕は『明日7時にハチ公前で待ち合わせよう』くらいの内容を原稿用紙2枚分まで膨らませることができる。)
あえて不足させたり(ポエムっぽいものはこの技法多し)することもあるだろうが、どちらも何らかの狙いがあってのこと。
王道というか、無難というか、奇をてらわないのであれば、過不足なしが最も美しい文章である。
そこでミステリー小説について考えてみる。
※関係ないけど今「ミステリー・ポエム」があったら面白そうだなって思いついた。「ぽっ ぽっ ぽっ 暗がりに発光する女を見た ぽっ ぽっ ぽっ」みたいな。
過不足のない文章が理想的な文藝に対して、ミステリーは、読者にビッチビチに情報を与えて土台をしっかりさせないと成立しない構造になっている。
この両立は難しい。
娯楽的であるとはいえ、ミステリー小説は最も技術的に難解なジャンルなのかもしれない。
ドヤ!
【ナ】ナッツ感覚
著作権の切れた作品がネット上に転がっているというのをこの頃発見した。
正式にはちゃんと管理している団体があって、古い表記を今風にしてくれたり、あえて古いバージョンも載せてくれていたり。
ケータイの通信速度規制のかかっていた月末の僕は、大好きな無料漫画を読むにも読み込みのストレスが大きくて(3秒で読み終わるページの読み込みに2分かかる)これはもう年貢のおさめ時だと腹をくくっていた。
文学の素晴らしさのなんたることか! 通信速度規制の中でも一瞬で表示される、文字というもののデータ量の少なさ!
ついに僕は著作権の切れた文学作品を読み耽ることになった。
ものすごい文豪だと言われているけど読んだことのない作家の作品をナッツ感覚でいただける素晴らしさ。眠れない夜はあっという間に明けていく。
特にナッツ感覚でいくのに最適なのが芥川龍之介。彼はそのほとんどが短編なのだ。文庫にして10ページ程度の作品が多い。
読んでみて面白かったのが、彼は童話のリメイクをいくつも手がけているということ。
桃太郎なんかは途中まで一般的な桃太郎と同じなんだけど、実は犬、猿、雉は仲が悪く、心優しき鬼たちを財宝目当てでぶちのめすというニヒルっぷり。
斜めから物事を捉えてみたバージョンなのだ。
角度をつけて物事を捉えることに関してこの頃思うのは、例えば、綺麗なものを斜めから見たら(美人を下から鼻の穴に焦点をあてて見てみよう)不細工なものに、汚いものを角度をつけて見ると(何日もお風呂に入らず髪やヒゲの伸びきった人は飾り立てず本能のままに生きていて美しい)綺麗になる筈なのに、文句の多い人はモノによってはストレートに俗っぽく見ちゃうし、モノによっては角度つけて見ちゃうから、全部を悪く捉えがちという悪循環について。
斜に構えるなら全部同じ角度からブレずに見るべし。
芥川龍之介は遺書までが作品として掲載されている。
頭の良い人が、それもこれから本当に自殺を企てようという人が自殺について考察しているのは実に興味深い。
みなさんもナッツ感覚でどうぞ。
【ネ】ねえ、旧字体で名作読も?
夏目漱石の「こころ」が100周年ということで出た本がかっこいい。昔の漢字に昔の仮名遣い、装幀もゴージャス。
漱石フリークにはたまらない品(たぶん)。僕には旧字体は難解だった。結局現在バージョンの文庫に照らしながらノロノロ読んでいる。
戦前の本を読んでいると変なところで平仮名が使われているなあと思っていた。漢字変換もない時代だから、ブショウで平仮名を使ってるのかなあと呑気に考えていた。
昔の漢字が当てられていた箇所が平仮名に直されているというのが実際だった。
旧字体と今自体では印象がだいぶ違う。多少無理しても旧字体で読む価値はある。
好きな人のケータイを覗きたくなっちゃうタイプの人は、人のケータイなんか覗いてないで旧字体で名作と呼ばれる物を読んでみるといいかもしれない。
然し然し、人の才と言ふものは人為にて其の道を選ぶことが叶わないやうである。才が道を選ぶのだ。
変態もストーカーも痴漢もその熱量を変換できたなら、きっとキダイの芸術家になったに違いない。
話は変わって、名作と呼ばれる本の文庫に付いてくる解説が気になる。
同じ冊子上に解説が付いていると、その名作が博物館的な、化石文学になってしまうような気がするのだ。
確かに、作者の成り立ちと作品の生まれた背景を知ることは面白いが、善意からの説明がケチをつけたり、解釈を狭めてしまうことは少なからずある。
ネットでいくらでも解説は手に入ってしまうから、解説を付けるなら別冊子にして欲しいところ。
僕だけがブーブー言っているのであろうか。マイノリティであろうか。
近代文学はまだまだ生きている。大人を気取るタメでもいいから読んでみてほしい。
史上最高のバスケットボール選手と言われるマイケル・ジョーダンもモテたい一心でバスケを始めたらしい。動機は不純でもけっこう。
ねえ、旧字体で名作読も?
【ツ】つうわけで、
選択肢は少ない方が良い。
「もうこれしかありません!」と言われれば、苦くてもそれで乗り切るしかないという、覚悟ができる。腹が決まる。
最初から選択肢がなければ、その判断が正しいか正しくないか、なんていうことを考えることはなく、後悔も生まれない。
春である。寒暖差が激しく、ヒートテックのチョイスが難しい。
その日その日に、ヒートテックが必要なのか、不要なのか、判断が求められる。
寒いよりは暑い方がマシだという基準を基本にしているが、蒸れたりすると、ほら〜やっぱりいらなかったじゃーん、と後悔する。
この選択は1日を左右する重要な選択である。
ヒートテックには、エクストラ・ウォームという、1.5倍温かいとされる上位バージョンがある。
価格も数割増なので、なかなか手が出ないなあと思っていた矢先、1000円を切る価格のセールに出くわし購入した。
えらいこっちゃ。選択をまた増やしてしまった。
ヒートテックを着る、着ないの選択の後に、着るならばエクストラ・ウォームにするか、ノーマルにするかの選択も迫られることになってしまった。
選択のために朝の時間も数割増にならないかなあ。
【ソ】そんなハバナ
サヨナラホームランというお笑いコンビの中川くんとやっているネットラジオの企画で、漫才のネタを1本作ってみる、というチャレンジをした。
お笑いというのは笑いを取ることが正解みたいなところがあって、狙って人を笑かすなんて、僕にはとてもじゃないけどできそうにないと思っている。めっそうもないですブヒブヒ〜。
ネタの作り方はゴールデンウィークあたりに更新される予定の「ラブラブしろっぷ!」を聞いてもらうとして(TwitterやGoogleで検索してみてね!)実際作ったネタを演じてみる、といった段の話をしよう。
基本は演技だと思っていた。人前用のスイッチのオンと、そのキャラクターに入り込むことができれば何とかなるかもしれない、と。
やってみたら口で言うほど優しくなかった。ボッコンボッコンである。いろはすのペットボトルでもあんなに凹まないだろう。
ここで説明するのも恥ずかしいからそれも、ゴールデンウィークあたりに更新予定のネットラジオ「ラブラブしろっぷ!」を聞いてもらうとしよう。
向いてないなあと痛感したのが、用意したボケとツッコミがあって、それを再現した瞬間、笑いに繋がるハズのサムシングが生まれた、という事のすごさに僕の心がいちいち立ち止まってしまうこと。
今! 今笑いの種が生まれたよ! すごくない!? この瞬間笑いに繋がるものがここに、音として、空気の振動として、ムードとして、生まれたよ!?
、ということにいちいち感動と笑いがこみ上げてしまうのだ。
日常の中でも何となくボケとツッコミのような関係が生まれて、笑いになることはあるけど、決め打ちの笑いを、誰かのために打ち出すというのはそれとはだいぶ遠いものなのだ。
ゴールデンウィークあたりに更新予定のネットラジオ「ラブラブしろっぷ!」を聞いてもらえば、面白いか面白くないかは別にしても、とりあえずネタは作れると思うのでトライしてみてほしい。
そこからお笑いライジングスターが生まれることを願って。敬具ブヒブヒ。
【レ】レッツ・ビジネス
元々聴いていたラジオに加えて無料漫画をケータイで読みあさるようになってから、スマートフォンに通信速度規制がかかるのが早くなった。
今月は20日から規制がかかっている。不便である。
そこでスーパー素人である僕からビジネスの提案。
現在スマートフォン向けアプリの競争は激しい。面白いものがわんさかある。そんな中設けられた通信容量の限定。これはチャンスである。
アプリ側が通信会社から通信速度を買えれば良いのだ。
「みなさん、面白いアプリはたくさんあるけど、月末ともなると既に規定の通信料オーバーしちゃって楽しさ半減してる頃ですよね? わたくし共のアプリを利用していただくための用途のみ、速度規制を解除いたします。また、我々のアプリを利用していただくための通信量は7Gの範囲に含まれません」
こうすればお金はあるけどまだまだ弱い、という企業のアプリも人気が出るかも!
通信もビジネスも素人である僕の考えだから、ブラックホールみたいな穴がボコボコあいてるとは思いますが、これ、採用していただいて結構ですよ。
アイデア料金は月々利益の5%をいただくだけでけっこう。
さあ、買った買った!
【タ】タトゥーあれこれ
NBAを見るのがここ8年の日課である。飽きない。年々想いが増していく。
NBAはアメリカのバスケットボール・リーグで、マイケル・ジョーダンがプレイしていたところと言ったらピンとくる人もいるだろうか。
僕がNBAを見始めた頃はタトゥー全盛期で、多くの若手選手にタトゥーが見られた。
選手それぞれ様々なタトゥーが入っていて、出身の大学名や漢字、座右の銘など、個性が出ていて面白い。
中でも漢字はニュアンスが変わってしまっているものも少なくなく、興味深い。
ある点取り屋のスター選手は「家」と鎖骨のあたりに彫っていたのだが、もともと英語の「home」の意味合いでいれたかったのだとすればニュアンスが変わってしまっている。なんだかかわいい。「ここは俺のホームだから」と「ここは俺の家だから」ではまったく言いたいことが違う。
そんなこんなでNBAを見る際のオマケ要素として、ささやかな楽しみだった選手のタトゥーもこの頃は少しだけ減ってきたように思う。
洋服に流行があるように、彫り物にも流行があるのかもしれない。マイケル・ジョーダンの時代には珍しかったタトゥーがいつの間にか流行になり、もう掘るところがないくらい全身タトゥーの選手なんかも現れたりして、そしてまたツルツルお肌の選手が台頭してくる。
現代最高の司令塔と呼ばれるクリス・ポールはツルツルお肌の今どき選手だ。雑誌のインタビューで「タトゥーはいれないの?」と聞かれ「そんなことをしたら親に殺されてしまうよ(笑)」と答えていた。価値観はめぐるのだなあ。
僕のようなひょろひょろ色白眼鏡くんがタトゥーをいれてもカッコつかないだろうけど、人のタトゥーに込められた逸話を聞くのはとても楽しい。
油性ペンでそっと「家」と書いてみようかしら。